筑波大学新聞のバックナンバー平成19年以前の第259号 (2007.02.05発行)と第260号(2007.04.09発行)の中でtomokaの記事を見つけました。
筑波大学新聞
筑波大学新聞第259号
https://www.tsukuba.ac.jp/public/newspaper/pdf-pr/259.pdf
筑波大学新聞第260号
https://www.tsukuba.ac.jp/public/newspaper/pdf-pr/260.pdf
それでも、つい先日、筑波の友人が遠路はるばる訪ねてくれました。
ばあばんも、知佳と親しくしてくれた友がひと時でも目の前に現われてくれて、さぞ嬉しかったことだろうと思います。
わたしたちもあのつくばでのお別れの日以来の、思いがけない再会に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
「知佳はもういない」、そう思うともちろん寂しく感じます。
けれど、ぽっかりあいた心の穴は、今ではあちらにつながった窓でもあるかのように、今では一緒に生きているかのように、そんな感じで過ごしています。
前には涙が邪魔して歌えなかった、忌野清志郎さんの「君を信じてる」や「Oh!RADIO」だってもう歌えるのです。
今年もまたいろんなこと思いながら、バレンタインチョコを作りました。
先週、桜谷窯のホームページの「クレイツーリズム」の記事を見たというお客さまが来られた。
その記事は、ともかが亡くなる前の年に作ってくれたホームページの中に構成されているものだ。
だからそれは今から5年前の制作で、内容的にはそれより更に5年ほど前の状況を、ともかが思い出しながら作ってくれたものだ。
今までにも数件の問い合わせはあった。けれど、備前焼の売り上げは年を追う毎に落ち込み、春と秋、年2回焚いていた登り窯はここ何年も焚いていない。窯の作業と言っても小規模に灯油窯を焚く程度で、他人様に手伝っていただくほどではない。
また、我が家の子どもたちは今年で小学6年と4年となり、工房兼住居は手狭となってなっている。
だから、滞在型はお断りし、「陶芸体験(土ひねり)」なら可能とお答えしてきた。
先週来られたのは若い女性一人だった。
土ひねりを勧めたが興味を示さないのでいろいろ話してみると、街での生活に疲れて田舎の実家に帰ったが、そこも安らげる場所ではなく、置き手紙をしたまま出てきたのだと言う。
車に荷物を積み込んで「ただのんびりと過ごす」ための場所を求めているらしかった。
歳を尋ねると22歳だと言う。
ふと、私たちが見ることの無かった「悩めるともか」の姿と重なって見えた。
ともかが行方不明だと連絡が入った後、もし所在が分かったとして、そして会えたとして、どんな言葉がかけられるだろうと考え過ごした。
実際にともかに対面した時も、「どうしたんかなぁ」としか声をかけてやれなかった。
後は機会があれば育児書などに答えを求めた。
そうして昨年、長谷川博一さんの著書を読んでいて、やっと初めて「腑に落ちた」と感じることが出来た。
周りの人たちが「こうあってほしい」と望んでいるであろう自分を生き抜いて、疲れてしまったのか。
いろんな思いや感情を、ただ「そうか、そうか」と聞いてくれる相手に恵まれなかったのか。
ともかは、何と答えただろう?
先週の彼女は「まだ生きていたいから」と言っていた。
周りの人たちの思惑に振り回されず、人にほめられたり認められることを頼りとせず、一つずつ、少しずつ、自分で自分を認めてあげられると良いよね。
一人ひとりの「ものさし」を大切にしてあげたい。
けれど我が子にはつい、親のものさしを押し付けてしまいがち。
うちの次女が今、正に不登校気味。価値観の転換にはまだしばらくかかりそうだ。
気長に、気長にと、教えてくれた出来事だったと思う。