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tomokaの写真や思い出
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tomokaから縁をいただいて剣の道に入って9年目になります。ただ今三人とも二段です。きっかけはtomokaの遺品の中にあった「るろうに剣心」のビデオです。またtomokaも筑波大学の新聞部で剣道部の記事を書いたりして、憧れを持っていたようです。本当は剣道がやりたかったのかもしれませんね。tomokaにはさせてやれなかったけれど、代わりに娘たちと生涯剣道を目指すことにしました。庭でやっていた剣道も今では武道場を借りてやっています。剣道を通じてたくさんの交流ができるようになりました。tomokaの死は残念なことだけど、現在に導いてくれたことに感謝します。






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tomokaが亡くなってもう6年になります。昨年3月にはtomokaの父親も亡くなりました。遺された者にとっては寂しくなりましたが、人生にはみなすべて意味があり、ただ学びを拾い集めていくのが仕事のように思います。

筑波大学新聞のバックナンバー平成19年以前の第259号 (2007.02.05発行)と第260号(2007.04.09発行)の中でtomokaの記事を見つけました。

筑波大学新聞
https://www.tsukuba.ac.jp/public/newspaper/shinbunindex.html


筑波大学新聞第259号

https://www.tsukuba.ac.jp/public/newspaper/pdf-pr/259.pdf


筑波大学新聞第260号

https://www.tsukuba.ac.jp/public/newspaper/pdf-pr/260.pdf






記事内容は「攻め勝つ心」で勝つ剣道 と Who’s Who?剣道部のフランス人留学生 という記事です。この時期ずいぶんと剣道部を追いかけていました。なんか剣道部に憧れの人とかいたのかな。
tomokaには僕が剣道を教えたことはありません。運動嫌いでしたし、僕も当時は剣道なんて全然頭になかったです。今思うと少しでも剣道を教えていたら人生が変わっていただろうか。


最近僕は娘二人と庭で楽しく剣道をしています。tomokaにしてやれなかった分、娘たちにはとことんやってやろうと思って(は、うっとうしがられて)います。これもtomokaがくれたきっかけです。

あれからもう5年。

それでも、つい先日、筑波の友人が遠路はるばる訪ねてくれました。

ばあばんも、知佳と親しくしてくれた友がひと時でも目の前に現われてくれて、さぞ嬉しかったことだろうと思います。

わたしたちもあのつくばでのお別れの日以来の、思いがけない再会に感謝の気持ちでいっぱいになりました。



「知佳はもういない」、そう思うともちろん寂しく感じます。

けれど、ぽっかりあいた心の穴は、今ではあちらにつながった窓でもあるかのように、今では一緒に生きているかのように、そんな感じで過ごしています。

前には涙が邪魔して歌えなかった、忌野清志郎さんの「君を信じてる」や「Oh!RADIO」だってもう歌えるのです。

今年もまたいろんなこと思いながら、バレンタインチョコを作りました。




 先週、桜谷窯のホームページの「クレイツーリズム」の記事を見たというお客さまが来られた。


 

   その記事は、ともかが亡くなる前の年に作ってくれたホームページの中に構成されているものだ。

 だからそれは今から5年前の制作で、内容的にはそれより更に5年ほど前の状況を、ともかが思い出しながら作ってくれたものだ。

 今までにも数件の問い合わせはあった。けれど、備前焼の売り上げは年を追う毎に落ち込み、春と秋、年2回焚いていた登り窯はここ何年も焚いていない。窯の作業と言っても小規模に灯油窯を焚く程度で、他人様に手伝っていただくほどではない。

 また、我が家の子どもたちは今年で小学6年と4年となり、工房兼住居は手狭となってなっている。

 だから、滞在型はお断りし、「陶芸体験(土ひねり)」なら可能とお答えしてきた。


 先週来られたのは若い女性一人だった。

 土ひねりを勧めたが興味を示さないのでいろいろ話してみると、街での生活に疲れて田舎の実家に帰ったが、そこも安らげる場所ではなく、置き手紙をしたまま出てきたのだと言う。

 車に荷物を積み込んで「ただのんびりと過ごす」ための場所を求めているらしかった。

 歳を尋ねると22歳だと言う。

 ふと、私たちが見ることの無かった「悩めるともか」の姿と重なって見えた。


 ともかが行方不明だと連絡が入った後、もし所在が分かったとして、そして会えたとして、どんな言葉がかけられるだろうと考え過ごした。

 実際にともかに対面した時も、「どうしたんかなぁ」としか声をかけてやれなかった。

 後は機会があれば育児書などに答えを求めた。

 そうして昨年、長谷川博一さんの著書を読んでいて、やっと初めて「腑に落ちた」と感じることが出来た。

 

 周りの人たちが「こうあってほしい」と望んでいるであろう自分を生き抜いて、疲れてしまったのか。

 いろんな思いや感情を、ただ「そうか、そうか」と聞いてくれる相手に恵まれなかったのか。


 ともかは、何と答えただろう?


 先週の彼女は「まだ生きていたいから」と言っていた。

 周りの人たちの思惑に振り回されず、人にほめられたり認められることを頼りとせず、一つずつ、少しずつ、自分で自分を認めてあげられると良いよね。


 一人ひとりの「ものさし」を大切にしてあげたい。

 けれど我が子にはつい、親のものさしを押し付けてしまいがち。

 うちの次女が今、正に不登校気味。価値観の転換にはまだしばらくかかりそうだ。

 気長に、気長にと、教えてくれた出来事だったと思う。






今年のバレンタインも子どもたちが配る用にたくさんつくりました。はっさくピール入りチョコ。
どこにいても思い出すけれど、今年は特に大雪で、つくばもきっとあの日のように積もったのだろうな。

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お魚は釣っても食べても作って(ルアー・オブジェ)も、E~ですよネ♡
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